- 2014年3月9日 7:40 PM
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あと1日とちょっとで、東日本大震災からちょうど3年を迎えます。
それぞれの人が、それぞれの気持ちでこの日を迎えると思いますが、役に立つ人がいるかもしれないと思ったので、「命日反応」について書いておきます。
「命日反応」というのは、大切な人を亡くした命日が近づくにつれ、不安な念や後悔の念が湧いてきて、気持ちが落ち着かなくなるという、身体の自然な反応です。
2014年1月10日時点での、東日本大震災で亡くなった人の数は、15,884人(他、行方不明者が2,640人)。3月11日には、かかわりのあった人すべてが、同時に命日を迎えます。
■大切な人を亡くした方へ
命日が近づくにつれ、普段よりたくさんの、故人への気持ちが湧き出るかもしれません。
「なんであの時、そばにいてあげられなかっただろう」
「なんでケンカしたまま、謝らずにお別れしちゃったのだろう」
「どうして、私を置いていってしまったの?」
「3年間、私はこんなに一人で苦しんできたのに、周りの人にはこの苦しみは分からない」
様々な、悲しみ、怒り、後悔の念が湧いてくるかもしれません。
また、そんな感情を持つ自分に対しても、さらに別の感情が湧いてくるかもしれません。
「もう3年も経ったのに、まだあの時のことを引きずっているんだな・・・ 一生、こんな気持ちで暮らしていくのか・・・」
という風に。
命日にこのような感情を引き起こされることは、大切な人を失った方なら誰しも起こり得ることで、決して異常な反応ではありません。また、一定の月日が経ったら無くなるというものでもなく、1〜2年で反応が無くなる方もいれば、数十年続く方もいます。
それは個人差なので、命日反応がずっと続く方が「弱い人」や「悲しみの大きな人」で、無くなる方が「強い人」や「悲しみの小さな人」というわけではありません。
(大切な「人」ということで書きましたが、「ペット」や「家畜」、「住んでいた家」「仕事」等を失った喪失感に対しても、同じことが言えます。個人差であり、本人と無くしたものとの関係次第なので、「ペットを亡くしたくらいでこんなに悲しむなんて・・・」と思わなくても大丈夫です)
もうすぐ震災から3年を迎えるにあたり、いつもとは違う自分になってしまった時、動揺してしまった時は、そうなってしまう自分を認め、許し、受け入れてみても良いかもしれません。
悲しんだり、怒ったりして良いんです。泣きたいなら泣いて良いんです。だってそれは、自然に湧いてくる感情なのだから。自分にとって、それだけ大切なものを失ったのだから。
もし、仕事中や運転中に、ふと強い感情が襲ってきたら、少し休んで、ふぅっとため息をついたり、深呼吸をしたり、(環境が許せば)叫んだりしても良いかもしれません。
「こうすれば良い」という決まった答えがあるわけではないので、自分に向いたやり方があれば良いと思います。
誰かと一緒にいた方が安心という人もいれば、一人になりたい人もいるでしょう。
ただ、不安な気持ちの時に、そばに誰かがいてくれるのは安心材料になりやすいので、信頼できる人と一緒に過ごすことを、選択肢として考えておくのは良いかもしれません。
湧き出てきた気持ちを、誰かに話したり、文章にしたりして、「言葉」に変えるのも、もしかしたら有効かもしれません。
■大切な人を失った人を支えたい方へ
自分自身が、大切なものを亡くしたわけではないけれど、身近にそのような人がいて、支えになりたいと思った時。いったい何ができるのか。
それは、「寄りそう」ことだと思います。
命日を迎え、悲しみや怒り、不安な気持ちを感じている人がいたら、ただそばにいる、一緒にご飯を食べる、話を聴く。それだけで安心できることもあります。
命日反応が出ている方が、その時の気持ちを素直に表に出すとは限らないので、なかなか気が付きにくい、対応がしにくいかもしれません。でも、そういう時に、こちらからあれこれ詮索する必要はなく、自然に過ごしている中で異変を感じたら「大丈夫?」「何かあったの?」と、少し声をかけるくらいの気構えで良いと思います。
逆に気をつけたいのは、
「もう3年も経ったんだし、そろそろ前を向いていこうよ!」とか、
「いつまでも引きずっても、●●ちゃんは喜ばないよ」とか、
「元気だそうぜ!」とか、
励ましたりすることです。多くの場合は、余計なおせっかいになるので控えましょう。
(もちろん、前向きにがんばりたいという人がいたら「私も一緒にがんばるよ!」「応援するよ!」なんてのはOKでしょう)
基本的には、悲しみたい人には悲しませて、怒りたい人には怒らせてあげる、そっとして欲しい人はそっとしておくのが、親切な関わり方と思います。
ちなみに、ここでイメージしている「そっとしておく」のは「放っておく」のとは違って、「必要ないなら近づかないけど、必要ならそばにいるよ」という暖かい感じです。
あとは、津波の映像等を見たりするのも、自分個人で見る分には自由ですが、周りの環境も考えて、辛さを感じる人がいないかどうか等も、考慮したいところです。
■あとがき
震災から3年を迎えるにあたり改めて、自分が葬儀の仕事を辞めて、東北にかかわりたいと思った原点を思い返してみました。それは、喪失感を抱えた人に寄りそいたいという気持ちでした。
復興を目指してビジョンを描き、客観的な事実・データを検証しながら、次のアクションを起こすことは絶対に必要だし、自分もやっていきますが、前向きな気持ちだけではなく、1人1人の気持ちに寄りそう、立ち止まってみる。そんなことも大切にしたいと思います。
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この記事の下書きにもなっている、私自身の命日反応(母の死後3年目)の話はこちらです。
「新春に思うこと」
http://ogasawarahayato.com/2011/01/04/shinshun
つくば国際大学医療保健学部教授である高橋聡美先生のブログも参考にさせていただきました。
「命日反応」
http://blog.canpan.info/satomilab/archive/250
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- 3.11の前に書いておきたい「命日反応」のこと。「受け入れる」ことと「寄りそう」こと。 - 小笠原隼人の日記 より