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「本当の自分というのは、つねに分人の総体にすぎない」 分人主義とスプートニクの恋人

  • 投稿者: hayato
  • 2014年1月16日 12:13 AM
  • 未分類

自殺対策支援センターライフリンクの清水さんが『分人主義』という考え方を強く推しています。

発案者は、芥川賞作家の平野啓一郎さんで、NHKのサイトに書いてある概要は以下の通りです。

“分人主義”という言葉は、芥川賞作家の平野啓一郎さんが提起している考え方です。
たった一つの「本当の自分」がいるはずという“個人主義”の考え方にとらわれるのではなく、いろいろな自分(分人)が自分の中にいるという考え方をすることで、生きづらい自分を完全否定しなくなるのでは、というとらえ方です。

この本により詳しく書いてあるようです。

村上春樹が『スプートニクの恋人』の中で、以下のような言葉を書いています。

「理解というものは、つねに誤解の総体にすぎない」

高校生の時にこの言葉と出会い、「うん・・・ そうだ。そうだよな」と思ってから、自分の中でずっとしっくり来ている言葉です。

分人主義について読んでいると、その村上春樹の言葉に近いニュアンスを感じます。

そこで、「理解=本当の自分」「誤解=分人」という風に、この言葉を捉え直してみたらどうだろうかと、ふと考えました。

やや強引かもしれませんが・・・

「本当の自分というのは、つねに分人の総体にすぎない」

「理解されたい」と思っている時、それが実は「本当の自分を知って欲しい」という願望だとしたら、そのことが実現するのは非常に困難だけど、相手から見えている自分が「あくまでも一人の分人」だとして、「誤解」を受け入れられたら、なんだかとっても楽な気がします。

「本当の自分」という存在があるものとして、自己実現や他者からの理解を得ることをゴールにしてしまうと、「本当の自分」との比較で色んなものを考えてしまう。でも、「分人の総体」として自分を捉え直したら、それぞれの分人に対しては、自己実現や正しい理解というのができやすくなるんじゃないでしょうか。

facebookでは頻繁に交流しているけど、リアルであまり話したことない人と、実際に会って色々と話してみると「ネット上とけっこう印象が違いますねー」って言われること、しばしばあります。そう言われるとなんだか、「WEB上のキャラとリアルのキャラって違うのかな?」という気がして、何となく居心地が悪い。

久々に地元の友達や親戚に会うと、昔の関係や印象のままでお互いに話をするから、「それは昔の自分で、今の自分はそうではないのに」とか、逆に「昔の方がもっと自分らしかったなー」と、違和感(=「本当の自分」とのずれ)を感じることもある。

でも、「そういう風に色んな見え方がある自分が自分だよなー」と思って、それぞれの「分人」をきちんと認識できると、それはそれで幅が広がって楽しいかも。

(分人の例)

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「本当の自分というのは、つねに分人の総体にすぎない」 分人主義とスプートニクの恋人 - 小笠原隼人の日記 より

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